第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?④言葉の規則と不文律・国家の体裁と秩序<角界不祥事に関する反省的記述を含む>

 朝青龍の引退騒動が私たちに齎したものとは、私にとって端的に日本人にとっての国家像というものの在り方を巡る考え方についてであった。しかし同時にそれ以後の余りにも多くの角界での不祥事があの朝青龍追放劇とは一体何だったのかという思いを再び多くの日本人に齎したことも確かである。つまり臭いものに蓋をすることで、自分達自身の真実の醜い姿を隠蔽しようとしたのではないか、という思いを多くの国民が感じたに違いないからである。
 古来から臭いものに蓋をするという言葉があるが、あれは要するに綺麗なものだけを見ようとし、汚いものを見まいとする欺瞞的態度のことだ。それは個に於いてもそうだが、個において個の内部にある恥部を凝視する力量が個人に備わっているのなら、集団としても日本人は恐らくもっと常に本質的なことだけに目を向けようとするだろう。しかし今回の騒動に関する限り私は決してそういう視座を日本人が持っていないということを露呈したように思う。
 相撲とは本来、古来の習慣が綿々と受け継がれて来た神事である。天皇陛下が拝謁するということ自体がそのことを表わしている。だが同時に相撲部屋とは端的に蛸部屋のようなものであり、かつては日本にも丁稚制度のようなものがあり、幼い頃から奉公に出されたりして礼儀作法から、職能まで身につけてきたのだ。しかしそういう制度が崩壊してから随分経つので、日本人は相撲部屋が、両親から引き離されて、相撲部屋の親方に養子に出されるかの如く特殊様相の世界であるということを忘れている。
 しかし通常の世界の常識を今日本人は相撲界に持ち込もうとし、しかし国技であるという神聖さだけは残そうとしているのである。それでは内部にいる角界の人たちにとってはたまらないだろう。
「古来の習慣のままでいいのか、それとも完全近代化していくべきなのか、どっちかにしてくれ」
 と言いたくなる。
 やれ谷町制度がよくない、とか何とか言って、近代合理主義の倫理を持ち込み、しかし同時に国技としての神聖さだけは残しておきたい。自分勝手なものである。
 勿論朝青龍は性格的にもやんちゃなところもあり、愛嬌もあったが、親方の指導が甘く性格の欠点を彼が増長させたという事は言えるだろう。そして我々は相撲界全体を未だに国技として扱っていて、内部の腐敗が、今現在の日本にある殆ど無節操な自由と、古来の仕来りの間の齟齬にあるということを薄々知りながら、その事には目を瞑り、もっと体裁的なことに拘っている。つまり日本人には私の考えでは外側から見た体裁を取り繕うという心理が強いと考えているのだ。
 それは黒船来航の時もそうだったし、もっと遡れば大陸から仏教を摂取した時代もそうだった。内側にある懊悩とか内面的苦悩といったものは、それ自体一切公では隠蔽されて然るべきものである。従って日本からはシェークスピアとかゲーテといった凄い文学作品は登場しない。
 何故ならそれらは端的に内面世界の懊悩や苦悩を直視した眼差しがなければ成立しない文学でありドラマだからだ。
 金閣寺の美は外側から見た建造物と庭園の調和の美である。従ってそこには建造物内部で生活する人間の生活臭が剥ぎ取られている。だからそれは必然的に美しい情感を身体論的には齎しはするが、内面的な理性へとは直結してはいない。
 日本の美は端的に理性不在なのである。
 だがそのことは日本人が理性を理解出来ないということを意味しない。日本人は多く哲学も理解するし、思想も理解する。ただそのことに対する極度のシャイネスがある、ということだ。
 ここが欧米の社会と日本の本質的違いである。日本人はそういう意味では懊悩、苦悩を直視したくないとも言えるし、直視する勇気がないとも言える。

 そのことは実は言語構造にも微妙な陰影を日本語に齎している。そして言語とはその民族共同体が持つスピリチュアルな部分から影響を受けるし、反映するのだ。日本語に主語と目的語の境界が曖昧であるような表現、つまり暈し的要素(助詞や接続詞、間投詞、助動詞などによって内容の意味の明示を暈す)などが多いのは、断言を避けるということから来るものである。
 しかし時には人間は断言をしなければいけないし、決然と言い切らねばらない。
 しかし日本文化とは暗黙の内に了解することを通して、相手がそれを悟り、自分から進んで決断するように仕向けるのだ。だからこそ今回の朝青龍の引退も、解雇通達をするのでもなく、何となく周囲から固有の雰囲気を作って「自分から進んで辞めなければいけないような気分」になるのを待つということに自然となっていくのだ。(だから前横綱審議員の内館牧子による「ベストの選択だった」という発言にある非情さを受け取った人は大勢いるだろう。私は朝青龍の素行の悪さとか性格が嫌いである。しかし少なくとも日本人でさえ今日の超近代合理化された社会において古来の仕来りとの齟齬から力士になる人が殆どいなくなってしまったことに象徴される角界と現実の日本社会のギャップを考慮すべきである。その穴埋めに朝青龍は日本にまで来た外国人であり日本人横綱の不在を埋めてきてくれたということだけには感謝すべきであろう。)
 そのことは端的に親方や相撲協会理事長の目まぐるしい交代劇にも顕著に示されていたし、琴光喜と大嶽親方の角界の追放もそうである。実際の所一番多く賭博行為をしていた二人を追放し見せしめにすることで、逆に罪の軽い者やそれらに関わりなかった者を守り、角外からの委員長を出さずに、角内から放駒親方で一件を落着させるという措置が取られたものの、本当の改革が今後なされるかを我々は注視せざるを得ないのだが、実際の所旧態依然的体質を温存させてきたのは多くがファンであったということも決して忘れてはならない。ごっつぁん体質を、そして何より相撲に神事的な清さをイメージとして付与する我々の内的な特権的地位容認意識を捨て去るべきであろう。
 何となく全てが決まっていってしまう(何となく辞めなければいけない雰囲気になっていってしまう様に)、これは一種の不文律である。朝青龍に対してはそうだった。何故なら協会が解雇通達を出すとあまりにも協会は非情であるという判断を世間一般からされるので、それを避けたのである。つまり協会全体のイメージだけはクリーンに保ちながら、結果的には解雇と同じようなことへと持ち込もうとしたのだから。がそのことが却って野球賭博問題で暴露されてしまう形になるなんて朝青龍を辞めさせた時点で誰が想像しただろう。これは考え方を変えれば極めて内部にいる人間にとっては残酷な仕打ちであると言えよう。
 そのことは形式的、組織全体の安寧の為に体裁的美を取り繕うということで、前回に示した菅家さんに謝罪を一切しない検察官から司法全体の体面主義にも繋がることである。

 話を本題へと戻すと、私たちが使用する言語とは実はかなりの部分で倫理的命題自体への我々の精神的取り組み方を反映しているのである。
 しかしその反映の仕方を無意識に援用することで、端的に反映しているという事実自体へは我々の意識がいかないように言語行為自体はなっているし、教育制度において我々大人が子供を教育する際には一切その閾下の精神的部分、意識的構えを解読したり、深読みしたりすることを避けるようにしている。これはモラル自体への同化を訓育するために仕方のないことである、と多くの大人が判断しているからだ。
 養老孟司は講演会で、幼児に実の母親の乳の匂いを染み込ませた布と、別の女性の乳の匂いを染み込ませた布を両方寝ている顔の上にぶら下げると、赤ん坊は必ず実の母親の乳の匂いのする布の方に顔を傾けるということが実験報告されていると言う。しかしそれは年齢を重ねる毎に失われていく能力だとも言える(特に視力に於いて甚だしいと養老は考えている)。
 このことは本来人間が幼児の段階では誰しも持っていた言葉にすることの出来ない固有の直観能力を、言葉を習得し、知性を身につけていく過程において徐々に摩滅させてきているということを示している。養老もそのように捉えている。
 つまり言語習得するということの内にはその意味では「死んだもの」を価値として規定し後生大事にしていくことを義務づける過程において、「生きているもの」を放り出していくということを性質的に含有していると言うことが出来る。
 養老はアフリカの原野に住む現地人たちは皆何キロも先のものを見わけるということを示しながら、「それはアフリカの人たちの目がいいのではなく、我々文明人の目が悪くなっているだけだ」と言う。
 
 永井均倫理学者として多く言語習得と、意識を言語が規定しているか否かという命題に取り組んできた。そして永井が何故習得という事実に拘るかと言うと、それは端的にその習得されたものを通して社会成員として我々が生活するという事実が、もう一つのメタ事実として、社会的倫理規定に逆らわずに生きていくことを同意しているということを示したいがためなのである。それは養老的言説を借りるなら、「生きているもの」を「死んだもの」に置き換えることによって、本来持っている野生的ではあるが言語以前的知覚能力においても、疑問を抱くことにおいても生来の生き生きとした能力を失わせることを通して社会的秩序へと同化させようと試みることなのである。
 そのことに幼い頃、つまり五歳の時から永井均はずっと疑問を持ってきた。それは違和感と言ってもよい。何故なんだろう、と問うことは、「何故悪いことをしてはいけないのだろう」という問いへも拡張される。しかしそれを問おうとすると必ず教育者たちは顔を顰める。それは問うべきことではなく従うべきことだからだ。だから本来(つまり初期人類が言語行為をすることを発見した頃)は今現在においては法規制となっている言語とはそういった問いを問う(根源的問いをする)ために設けられたものである筈なのに、形式的に出来上がった秩序に同化させ、言語による規定、例えば実際の法規定などにつき従わせるために道具になっているのである。
 そのことを告発するためにのみ永井にとっては哲学がある、と考えても間違いではない。

 勿論養老が言う赤ん坊の能力は言語的問いよりもずっと先に顕現される能力であり、「何故悪いことをしてはいけないのだろう」という問いは言語習得をされた段階で持てる能力である。しかし恐らく我々はそういう風に問えるということは、言語習得される以前から既に善悪を問う資質を持って生まれてきていると言うことも出来る。その点においては養老も永井も全く同じ考えを抱いているように私には思える。その事に就いては次回二人の文献から引用することで考えていきたい。
 しかし今回は予定を変更して、ここ二年間私自身が永井均の講義を六回立て続けに(去年の横浜での講義を除いて)出席してきたことから、得た極最近の永井自身の問題意識を採録する形で進めていこうと思う(予定変更を御許し頂きたい)。

 永井均は最近デカルトに拘っている。彼本人が哲学者として名を馳せてきたことの第一の理由は勿論現代分析哲学にも死後多くの影響力を持ったウィトゲンシュタイン(彼が初めて哲学者の言う言葉を意味内容からではなく意味作用的な言語秩序へと命題を移行させたとも言えるし、そう永井は捉えている)の言語ゲームとか私的言語理論に対する着目によってだが、実際永井自身が本当に啓発されてきている(それは哲学資質的意味合いからではなく、哲学命題論的な意味合いからである)存在は、デカルトであり彼の考えたコギトである。
 しかも永井はそのコギトがデカルト自身がかなりの苦痛を強いられた軍隊経験とかから、死への恐怖と隣接してきたことなども手伝ってあくまで「ルネ・デカルト」自身が感じた実感であることに拘り、「最後に残るのは自分の存在をも疑い得るこの疑う私」であるという懐疑的論証の末の結論自体が、あくまでデカルト本人の為のものであるにも関わらず、それが広くそれ以降一般化されていってしまったこと(それは本人は歴史哲学的視座から考えられると述べているが)自体のある種の「裏切り」に於いて認識している。
 つまりデカルトの本当に言いたかったこととは、端的にデカルト本人にしか分からない、ルネ・デカルト自身がそれをさえ疑い得る「疑う自分=疑うルネ・デカルト」をこそコギトと呼んだということだったのであり、そのルネ・デカルト本人にしか分からないことが、いつの間にか誰にでも当て嵌め得る真理にまで拡張されていったその後の哲学史の持つ彼の主張に対する裏切り(何故ならデカルト本人にのみ適用される例外的な「疑う自分=疑うルネ・デカルト」がいつの間にか「疑う自分=全ての疑う自分を持つ人々」に置き換えられてきたこと)に大いに着目している。
 これは痛みとか痒み自体を理解し得るのは自分自身だけであり、その現象的であることの分かりやすさはあくまで自分自身にのみ当て嵌まるということから、それが世界に存在する全ての存在者に適用されるということへの超越とは、最初にこの世界で「痛い」とか「痒い」と言った本人の言を、それを理解する周囲の人々が自分自身にも適用してしまったという発生論的言語誕生秘話を想像させる。
 つまり言語には実はもう一つの力があり、それはデカルト本人が言った、あくまでデカルトにのみ専売特許がある言説自体が、その言説を聖書の様に一字一句信仰する者本人が、デカルトにしか理解出来はしない感覚を、あたかも自分自身でも追体験し得るかの様な錯覚を持ちつつ、デカルトにしか分からないと本人が「哲学原理」や「省察」に於いて語っているコギトをあたかも、それを信奉し読む自分自身にも適用出来るものとして、デカルトの本意を裏切った形で初めてデカルトを理解し得るという矛盾を永井が考えていることを示している。
 それを永井はデカルトの力ではなく言語の力であると講義ではしている。
 これは先に述べた言語習得期に於いて全くそれ以外の選択肢のない形で国語が我々に与えられ、その言語を習得した後は個人に於いて善悪とか言語の成り立ち自体をも問い得るものとして習得されていく過程に於いては一切の問うことを許されない、要するに日常生活成立要因としての社会制トゥールとして我々が言語行為の仕方を受容するその社会システムをも構成する力である、と言い換えてもいい。
 そして永井均はそこで、この社会システムをも構成する力である言語自体が、何かを他者に語る本人があくまで本人の心の問題であるにしても、それをさえ他者にも共有されてしまう言語の公私を無化する様な力自体に疑問を持って哲学的に哲学者として臨んでいるのだ。
 しかし永井本人が気付いているかどうかはともかく、彼の講義では一切では何故敢えてデカルトは「省察」といった形で出版や公表という形を取ったのかということには触れていない。
 つまりかなり重要なこととは、自分自身にしか理解し得ないあるコギトという特殊な感覚を文字化して彼は明らかに出版とか公表という形で世間に問うたのである。
 それは裏を返せば彼自身が既にそういう風に文字化することで、自分自身にしか決して理解し得ない感覚をも他者にも理解して貰えるのではないかという目算が僅かながらも存在した、ということではないだろうか?
 つまりそこには言語自体の私的な感覚の伝えられなさにも関わらず「伝えよう」と決意させてしまう言語行為自体への信頼が言語行為を執り行う全ての話者、筆者に介在している、ということではないだろうか?
 つまりその暗黙の言語行為自体の有用性に対する信頼こそが言葉の規則と不文律であり、それこそが国家の体裁と秩序をも成立させているのではないかという直観が恐らく全ての個人に備わっているのではないか、と少なくともこの「私」は思う。そして「私」以外も恐らくそうであろうという目算に於いてこそ、私は今こうしてブログで自分の論文を発表しているのである。
 次回はこの「暗黙の言語行為自体の有用性に対する信頼」に関して養老と永井の論文からの引用を主として論説を進めていきたい。