第一章 第一章 思想や科学と哲学とは壁を乗り越えられるか?⑤言葉の規則と不文律・国家の体裁と秩序<角界不祥事に関する歴史的考察と言葉の定義に対する有用性への信頼に就いて>

 2011年に入って相撲界はまたぞろ新たな、しかしそれは極めて辛辣で、既にその国技としての面目躍如的な体裁を維持することが困難な事態へと直面した。それは野球賭博などさえもがその前哨戦でしかなかったと思わせる八百長問題に於いてである。
 そして実に興味深いのは、それらの確約を力士同士が携帯電話を使用して行っていたということである。これは更に昨今問題化している京大、立教大、早大同志社大学で執り行われていた入試問題の漏洩事件でも携帯電話が重要な役割を果たしたことと相俟って極めて現代社会に於ける象徴的出来事である。Yahooの智恵袋コーナーで解答を求めるという技がしてやられたが、今後もし携帯にその種の犯罪を誘引する可能性があるからと言って、全ての携帯持込を抑止させる為には莫大な投資を要しよう。しかも全ての受験生に身体検査などをすることもほぼ不可能である。ここにこの種の問題の難点が存在する。
 しかし既に現代社会では昨今のリビアなどの反政府運動でも垣間見られるが、情報リーク自体を阻止することは実質上不可能である。だからWikiLeakdsやTwitterFacebookYouTubeなどが定着してしまっている現代社会では、そういった犯罪さえ既に射程に入れた様々な当局による対策を講じる必要性を物語っているが、同時にその不可避的な元へ戻らなさをも露呈させた、と言える。
 何故なら我々の社会では既に正義とか公平さとかいった規準よりも、より情報摂取に対するあくなき欲望の方を優先するという不文律は世の中の隅から隅まで徹底化されてきているとしか言い様がないからである。そしてそれを元に戻すことは実質的に不可能である。
 力士達の多くは携帯電話を提出を求められても拒否した。この事実からも現代の病因は極めて深刻である。しかし今現在この様な問題が一気に噴出したこと自体、我々の社会がそういったことに常に目を瞑ってきたという歴史的事実をも見過ごすわけにはいけない。そして角界や大学入試に於ける不正を招聘したのも、やはり原点から言えば我々自身の惰性的性向に起因しているのである。
 養老孟司はデビュー著作である「ヒトの見方」に於いて次の様に述べている。
 「もともと自然科学では、前提だの背景だのではなく、主題そのものを論ずべきであろう。前提を論じれば哲学になり、背景を論じれば評論になる。いずれも科学者が本来口を出すべきすじ合いのものではない。」(ちくま文庫、220ページより)
 しかし養老はそう言い科学者の使命を限定させながら、その実自分自身はその禁を破っているかの如く論説を本書では至るところで展開させる。その一つが次の箇所である。
 「西洋の中世は、静謐な時代であったかのように見える。歴史家はそれに異論を唱えるかも知れぬ。しかし、そこには直観的に静謐な世界が拡がっていることが感じられる。多分それは聖書の中に時間という「魔」が閉じ込められたためであろう。中世の時は絶対的に測られ、聖書という時計にのみ従って流れる。このような「時」の流れる世界に、現代の狂騒はない。
 時計はどれを買っても、刻む「時」は同じ「時」である。時が数字で示されようが、針で示されようが、ディジタルであろうが、アナログであろうが関係はない。繰り返し時計を買い求める人の心に、異質の「時」に対する無意識の欲求がない、と言えるであろうか。少なくとも人間の頭数に比べて、現代は時計の数が何故か多すぎることだけは、確かなようである。
 中世というのは、迷惑な時代である。厄介至極なものをいつくか準備した。一つは科学と技術が結婚するに至る条件である。それが可能となったのは、実はあらずもがなの神学のためである。
 人は育って行く時に、ます親の、そして教師の、言の内容を受け取る。しかし、本当に学ぶものはその形式である。言われていることの内容は、結局最後に鼻の先で笑うようになるにしても、行動については親教師のやることを、そっくり真似て意識せぬ。こういう行動に対しては、やっている当人に心理的抑制がかからぬからである。その意味で形式は常に踏襲される。」(進化と進化論 中、214〜215ページより)

 日本には当然のことながら民族としての聖書というキリスト教世界的存在はない。勿論古事記日本書紀世界はあるが、それ等は聖書とは存在の仕方が違う様に思える。少なくとも我々日本人の神道的世界観にキリスト教世界的モラルはない様に思われる。寧ろそれは沈黙の美に近い、所作的なこととか、空気感といった雰囲気醸成、つまり集団成員としての在り方に重きが置かれている。しかしこの養老による最後のパラグラフは、それが西欧であれ日本であれ全く相同のメカニズムを社会が強制している。そしてそれは永井が哲学命題にしていることでもある。
 ある部分では野球賭博でも八百長でも慣例化された集団全体の「調和」から生み出されてきた、とも言える。西欧には西欧の調和の形式があり、日本には日本の調和の形式があり、共に文化的にも社会観的伝統でも営々と続行されてきた。
 それに日本が明治期に突入していった時武士の間で当然のことだった丁髷(ちょんまげ)はなくなった。しかし相撲だけがそれを伝統的な意匠として残した。だから当然のことながら明治期以降のざんばら頭への同化過程に於いて、現代まで通じる近代化の波から言えば時代を逆行するかの様な意匠への青年世代の人達からの反発はあった筈だ。だからこそ、そこまでして国技に貢献しているのだから、一々小さいことで小うるさく言うな、という意識は相撲界全体に蔓延していたのではないだろうか?
 日本は明治以降近代合理主義を欧米から移入していったが、その過程でスポーツの観念も移入していった。欧米のスポーツの観念はフェアネスに象徴される。しかし相撲にはレスリングやボクシングの持つ等級上でのフェアネスはない。ここが相撲という存在にある固有の曖昧さを与えている。
 それは暗黙の言語行為自体の有用性に対する無根拠な信頼という前提がある。だからこそ江戸期には人情相撲ということで(それは貴乃花若乃花が優勝する際にも、たった一回だけ貴乃花の側からなされたという一般的見解すらある)、最低限容認される正々堂々ではない国技への暗黙の美学であった。しかし昨今問題化されたことはもっと金銭的な合理主義が徹底化された仕方だった。
 このことは谷町的な相撲全体の特権意識を象徴していた。
 白鷗が「そんなものないとしか言えないじゃないですか」と意味深な発言をインタビューでテレビカメラの前でしたことは物議を醸した。
 しかしこれは社会内で飛びっきりの「いい子」を演じねばならぬ横綱の使命への追随が生み出す発言様相である。横綱は高いギャラを取って人気があるだけでなく、人格も求められている、という曖昧な精神主義が、逆に相撲界全体に、ある種の不必要な緊張感を強いていたとは言えないだろうか?
 それは昨今の京大その他での入試問題漏洩事件でも言える。小泉竹中路線以降、色々と民主与党による政権交代で問題化された規制緩和路線自体が齎したエリート主義的見解が、しかし営々と一般社会では不文律化していればこそ、有名国立私立大学に何としてでも合格出来なければというプレッシャーを生んでいるとも言えるからだ。今後入試で携帯電話使用を抑止させようとしても繰り返す様だが、まさか身体検査まで施行するわけにはいくまい。まさに戦後民主主義の難点、日教組が構築してしまったPTAからの批判を跳ね除ける勇気が教育為政者達に求められている、とも言える。勿論携帯を使用するなとも既に為政者さえ言えない。そこにこの携帯電話使用を巡る問題の難点がある。
 しかも養老が述べている様な意味で、日本には欧米的な一神教的神の概念はない。民族的に神と民とか、神と個(父と精霊と子の三位一体などでも見られる)との対話、或いは契約という観念は全く不在である。そこでモラリスティックなスタンダードが個内部で醸成され難い。だから相撲の力士や床山達による特殊世界での特権意識は益々閉鎖的に完成されていく。その歪な完成がある部分では入試試験の答案を求めるという技にまで発展していって、集団レヴェルでの犯罪組織を構成することもいともたやすい時代に、我々は生きている、とも言い得る。
 
 この不可避的な情報流通の現代の特性は、ある部分では極めて言語の有用性と信頼への固定化が、益々言語外的なモラルとか、修身的な心得を曖昧で実体のないものとして認識させる方向へと我々を誘っている。意味の横溢は、あくまで行動や倫理によって支えられているべきであるのに、意味自体、言葉の定義自体が異様に肥大化し、意味使用と定義の情報流通が意味や言葉の「本来の目的」(ところでそんなものは一体言葉が誕生した時代からあったのだろうか?)よりも優先されていってしまい、東浩紀的に表現すれば、大きな物語があるものとしてきたこと自体が、実は幻想であって、我々の時代は、既に人類が初期に言葉を持った時点(それから最も乖離していたのが養老の言う様に中世だったかも知れない。日本には聖書はなかったが、日本でも最も古代と乖離してきたのは中世だったかも知れない)でのメッセージ自体を、目的とか内容からではなく、伝えること(行為)の方が優先してしまっている、と言える。
 永井均の哲学テクストが青年世代に爆発的人気があって、どんどん文庫化されていることの背景にはそういった時代背景もある。しかも永井はウィトゲンシュタインという言語行為に私的レヴェルの問題と絡めて現代の諸問題を見据えた哲学者へのオマージュ「ウィトゲンシュタイン入門」という本も書いている。永井は次の様にウィトゲンシュタインの「論考」を捉える。
 「(前略)つまり、ウィトゲンシュタインは、世界は事実このようにできている、と独断的に主張しているわけではないのだ。そうではなく、およそ我々の言語が確定した意味を持ち、世界についてなにごとかを語りうるためには、世界はこのようにできているのでなければならない、と主張しているのである。『論考』は、叙述の順序とは逆に考えられている、と見做されねばならない。言語が意味をもつためには、それはある一定の構造をもたねばならない、したがって、世界が言語の中に反映さうるためには、それは言語と同じ構造を持たねばならない、というようにである。言語と世界は論理形式を共有せねばならない、とはそういうことなのである。」(第2章 像―前記ウィトゲンシュタイン哲学 中、56〜57ページより)
 この部分の永井言述を正しいとすれば、ウィトゲンシュタインは強ち言語自体だけに関心を注いでいたのではなく、寧ろ言語を世界と相同のメカニズムのものとして成立させる我々人類の知的欲望、或いは現代社会で日本でも問題化している情報摂取的反意味論的古代回帰自体を予感していたと、モラル論的相貌で捉えられなくもない。そして当然養老の先の文章とこの部分は対応している。つまり世界と言語が論理形式を共有するというウィトゲンシュタインの「論考」での解釈への永井による着目は、先の養老の文章での終盤登場する「本当に学ぶものはその形式である」と全く相同のメカニズムを有しているのである。そして西欧でも日本でも中世こそが、その形式を完成させた時代だったと言えよう。しかし養老が「中世というのは、迷惑な時代である。厄介至極なものをいつくか準備した。一つは科学と技術が結婚するに至る条件である。それが可能となったのは、実はあらずもがなの神学のためである。」と言う様な科学技術の進歩と、社会からの要請の根拠に内在する神学の問題に、次回は永井の「私・今・そして神」そして養老の「ヒトの見方」とを取り上げ、考えていってみよう。